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- / - [シネマと精神分析]
閉ざされた実験施設のなかで。
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    評価:
    マリオ・ジョルダーノ
    ポニーキャニオン
    ¥ 12,800
    (2004-03-03)

    評価:
    スタンレー ミルグラム
    河出書房新社
    ¥ 1,365
    (2012-01-07)

    先日『TEST10』という映画のDVDを拝見して、これ自体は申し訳なくも良作とは言いがたいものだったのですが、あたしはある映画を思いだしました。というよりも、その映画とおなじジャンルの映画だと思って『TEST10』を借りてきたら設定はちかくてもお話の方向性がまったく違っていて肩透かしだった……ので、あたしのあたまのなかの順番はそれとは逆なわけですが、その映画、とはおそらく知っているひとは知っているであろう、そして、そういったひとたちにはたぶんとても興味深い映画と思われているであろう『es[エス]』という映画です。

    『es[エス]』は実話ベースの映画(ドキュメンタリーではない)なのですが、某大学研究室主催の1週間ほどの泊まりがけの心理学の実験に参加してくださった方には高額の報酬をお支払いします、資格は心身共に健康で云々の広告(もちろん広告内容は報酬や期間の数字や大学名がきちんと明示されていてしっかりしている)を見てあつまった10数名の男性を看守役と囚人役にランダムに割りふって監獄に見立てた設備で1週間すごさせる、というものです。ここで察しのよい向きにはなんとなく想像がついちゃったと思うのですが、はじめは看守役/囚人役のロールプレイングを楽しむ余裕すらあった参加者たちは次第にギスギスしはじめ詳しく書くと目をおおいたくなるような方法で看守役は囚人役の人間性を否定し服従させようとしはじめ……最終的には被験者であるにもかかわらず実験の主体である博士(女性でした)にも牙を剥く、というものです。

    この心理的展開はべつだん特殊なものではなく、スタンレー・ミルグラムの『服従の心理』という本に詳しく書かれていますが、アイヒマン裁判(ナチス党員アイヒマンが戦後に受けた裁判で、数々のユダヤ人に対する非人道的な行いを糾弾されたもの。当然アイヒマンは有罪になった)に代表されるように、非人道的な行いをするとき、その責任が自分にないと判断できる場合、人間はかなりエグい方法で対象を否定することができてしまうんですね。『es[エス]』でおこなわれる実験では被験者同士であるにもかかわらず看守役は期間内、問題なく囚人役を管理することを要求される(そのためには(身体に傷のつくような)暴力以外ならなんでも利用してかまわないという但し書きがつくが、それは暴力以外ならなにを利用してもかまわないということでもある――たとえ相手をむりやり丸刈りにしようと閉所恐怖症なのに金庫におしこめようと吐き気をもよおさせるほどの汚物まみれにしようとも、である)わけですが、この場合、囚人に対する非道な行いは実験者(上司)の命令なのだから自分たち(看守役)の責任ではない、といういわば申し開きが可能になるので、道義的責任の所在が曖昧になり、遠慮なく相手の人間性を否定するような下衆な行いができるわけです。

    アイヒマン裁判についてもハンナ・アレントが「悪の陳腐さ」という言いまわしであらわしているように、行為の主体はむしろ凡庸ともいえる課されたタスクに対しての責任感がつよい中間管理職的な人間でうえからの命令に対し実直にその職務を全うしているだけにすぎません。問題は行為にたいしての問いかけが主体によってなされない、思考停止にあります。一見なんの害もなさそうな、実直そのものといった様子の小役人がいちばんこわい、といったところでしょうか。

    スタンレー・ミルグラムの実験によればクイズ番組の先行公録だと偽って視聴者から出題者を募り、同じく視聴者から募った回答者が間違うたびに電気ショック(偽の。ただし回答者は実はサクラの役者なので本気で苦しがっている演技をする)をあたえる、間違いを重ねるごとに電気ショックを強める、という形式で収録(実験)を行ったところ、プロデューサーがつづけろと言う限りほとんどすべての出題者が限界まで出題しつづけたという報告があります。

    ただ、これには例外もあり、圧倒的少数ながらもこのままでは回答者の命の危険にかかわるのではと危機感を感じた出題者が収録の中止を申し出たケースもあるそうです(逆にいえば殆どの場合、苦痛を示す回答者の命を危険にさらしても出題者たちは(プロデューサーの言うままに)収録をつづけようとしていたということでもあります)。この場合、いったん中止を申し出ようと決意した出題者が申し出を撤回したケースは0だったそうです。

    あたしたちが人間性や善意や判断力といったものにたいして、また、みんながしているからみんなが言っているから云々で確認もなく特定の対象を敵視したり攻撃したりすることへの事前の戒めとして希望をもっていられるとしたらおそらくそれはこういったときにあらわれる勇気のようなものなのかもしれません。

    ところで、その映画『es[エス]』ですが、このように大変得るところのおおい映画であるにもかかわらず、その内容が内容であるため、お気軽にどうぞ! とおすすめできないのがつらいところです。グロいのもスプラッタもまったくへっちゃらなあたしでさえ、その人間性のずたずたに引き裂かれてゆく有様になんども一時停止をしてしまいました――それでも、だからこそ、未見の方にはぜひ観ていただきたい映画、なのですが。

    むずかしいかな?